『蒼黒戦争』において重要な戦いのほとんどに参加し、主要な二十七祖の多くを討ち取り『六王権』そしてその最高側近『影』、この二人を討ち取った七夜志貴、そして衛宮士郎。
この戦争の真実を知る者達からは密かに、この戦争を終わらせた英雄として語られるが、この二人がそれを肯定した事は無い
ただ周知の事実なのは二人のその後の足跡はほとんど知られていない事だけであろう。
それ故に記そうと思う。
『蒼黒戦争』を終わらせ、人類を滅亡より救った二人の英雄のその後を・・・
承 転 『志貴、士郎、その後の顛末』
『闇千年城』の戦いが終わり、傷だらけになりながらも士郎が向かったのはセビーリャだった。
この戦争でこちらの勝手で呼び出してしまった二人を元の座へと還す為・・・
なぜこうも拙速とも言えるほど早く動いたのか?
それにはちゃんと理由があった。
さすがにディルムッドの壮絶な姿には言葉を失ったがそれでも気を取り直し要件を手早く伝える。
「なるほどのぉ、余達がこれ以上いるといろいろ騒ぎ立てる奴らが出てくると言う事か」
「はい、アルトリア達は表向き使い魔として召喚していると報告されていますが、イスカンダル陛下達は違います。今は各地の解放や戦後の復興でそちらに関心を向ける余裕はないでしょうが・・・」
「いずれは我々の事を調べようとするものが現れると言う事でしょうか?」
ディルムッドの言葉に頷く士郎。
「うぅむ・・・もったいないのぉ出来ればこの時代の美食今一度食したかったのだが・・・」
「背に腹は代えられぬぞ征服王、下手をすればエミヤ殿に多大な迷惑と心労を強いる事になる。貴公も厚い信頼を置く臣下が下らぬ小物にまとわりつかれるのは心地良いものではないであろう」
「確かにのぉ、止むをえまいか。ではエミヤ、最後にロンドンに向かう」
「ロンドンですか?」
「うむ、我が臣下に最後の勅をな」
そして、ロンドンに向かった士郎達は早速ウェイバーの元に向かう。
「それでは王よ・・・」
「うむ、余がこれ以上ここに留まれば色々面倒な事になるかも知れぬ故に今のごたごたしている隙にな」
「わかりました。私も時計塔にはいろいろ誤魔化しておきます」
「済まぬなウェイバー・・・でだウェイバー・ベルベット」
「!はっ!」
イスカンダルの声に並みならぬ覇気を感じ取ったのだろう。
直立不動でウェイバーはイスカンダルの声を待つ。
「イスカンダルたる余が最後の勅命をお前に下す・・・ウェイバー、お主は天寿の全うするその時まで生きよ!」
「・・・はっ!」
「そして世界を隅々まで見届けよ!己を極限まで磨き上げ、現状に満足する事無く更なる高みを目指し続けよ!そうして天寿を全うしたのならその時は」
そこで言葉を区切り、いつもの豪快なあらゆる人を引き付けて止まない子供じみた笑みを浮かべ
「その時には我が軍勢の一席に加わる事を命ずる。ウェイバー、その時には覚悟しておけよ。お前を死んでもこき使ってやるからのう」
「・・・御意っ!」
その時のウェイバーの思いはどれ程のものであろうか。
あの軍勢に、征服王が至宝と呼んで憚らないあの領域に自分も迎え入れられると言う歓喜と、一時とは言え忠義を捧げた王と再び別れなければならないと言う寂寥。
与えられた勅命の単純であるが故の困難に立ちすくむ思いと困難であるが故に乗り越えようと言う決意。
数え上げればきりがない。
きりがないが、ウェイバーはそんな思い全てをただ一言に凝縮させた。
一言に込めた思いを感じ取ったのかイスカンダルも満足そうに頷く。
「では一時の別れだウェイバー。お前と再び会う事、その時お前がどれ程のものになっているか楽しみにしておるぞ」
そう言ってイスカンダルはウェイバーに背を向け歩き出す。
そんなイスカンダルの背をウェイバーはただひたすらに見続ける。
死するその時まで決して忘れない為に。
「イスカンダル陛下宜しいのですか?」
「うむ、では、我々も還るとするか」
「はい」
士郎達が次にやってきたのは旧柳洞寺跡。
ほんの四ヶ月前に士郎がイスカンダル、ディルムッドの二人を呼び出した場所。
「イスカンダル陛下、ディルムッド、長らく本当にありがとうございました」
「なんの、余も十一年ぶりの現世を存分楽しめたし此度の遠征も存分に心踊ったぞ。ウェイバーにも会えたし礼は余がせねばならぬ」
「征服王の言う通りだ。エミヤ殿、礼は私が述べるべきものです。ようやく騎士としての本懐遂げる事が出来ました。感謝の言葉も見つかりませぬ」
「さて、積もる言葉もあるだろうがここで区切るとしようか。ではすまぬがディルムッド」
そう言ってイスカンダルは腰に帯びた剣を、
「ええ、申し訳ありませんが」
そう言うや、ディルムッドは『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』の切っ先を、
それぞれの心臓に向けた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
しばしの沈黙が周囲を包み込む。
そんな重苦しい沈黙を吹き飛ばしたのはやはりと言うべきか剛毅なイスカンダルの声だった。
「ではエミヤよ。また次に会えるその時、楽しみにさせて貰うぞ」
「はい、イスカンダル陛下、俺もロード・エルメロイU世と同じく、これから先も己を磨き上げます」
「エミヤ殿、いつか会える日を楽しみにしています」
「ああ、ディルムッド、またいつか」
その言葉に重なる様に互いの得物は互いの心臓を貫く。
それと同時に二人の姿は揺らぎ、薄れ、消え失せた。
そこには最初から何も存在していなかった様に・・・
その場所に士郎は無言で深く、深く頭を下げた。
八か月後・・・
時間と言うものはある意味では人々の心の傷を癒す薬となるだろうが、ある意味では残酷でもある。
未曽有の被害とあまりの多くの人命を失った『蒼黒戦争』もこの時既に、過去の出来事として語られるようになっていた。
しかし、この戦争で世界中にばらまかれた様々な種子は世界中で戦火と惨事と言う名の多種多様な花々を咲かせていた。
『・・・次のニュースです。昨年末より頻発しております中央アジア各国の暴動ですが依然終息の気配を見せず・・・』
『中国の内乱は既に各自治区にまで飛び火し分離独立を目指す運動にまで発展し中国当局の徹底的な弾圧にも関わらず・・・』
『五月、六月にアメリカ合衆国より分離独立を漸減したアメリカ共和国、アメリカ教国がアメリカ合衆国と戦闘状態に入ったとのニュースが・・・』
テレビ、ラジオ、インターネットでは連日連夜、世界中の混沌のニュースが賑わせていた。
そんな、世の流れなど我関せずと『七星館』では、何故か志貴が台所で料理をしていた。
軽く鼻歌を歌いながら包丁を器用に使い材料を手ごろな大きさに切っていく。
日頃は琥珀、さつきと言う家事関連の双璧と言うべき二人が料理を担当し、志貴はほとんど台所に入らない。
だが、それと志貴は料理が出来ないと言う事とはイコールではない。
志貴自身『千年城』での修業時代に学業の傍らで料理も教わっていた。
まあ、士郎ほど本格的なものではないがそれでも、料理の腕前は十分なものだったのは確かだ。
「志貴」
「ああ、士郎」
と、そこへ士郎が顔を出してきた。
「誰も出てこなかったんで勝手に上がらせてもらった」
「別に良いさ。俺とお前との仲だし」
下拵えも一区切りついたのか手を洗い士郎と向かいあった。
それから座敷で志貴が入れた茶と士郎が持ってきた和菓子で互いの近況を話し合う。
「アルクェイドさん達は」
「今日は産婦人科。まあアルクェイドとアルトルージュは師匠の所で経過を確認してもらっている。もうすぐ帰ってくるさ」
「順調なのか?」
「ああ、幸い皆順調、もう安定期に入った」
この言葉からもわかる様にアルクェイドら、『七夫人』と朱鷺江はみな妊娠していた。
逆算すれば妊娠時期は十二月頃、十中八九、『闇千年城』での最終決戦に赴く前夜でのあれで全員身籠ったのだろう。
「男の子か女の子か判っているのか?」
「いや、知る事も出来るけど、皆知らなくても良いって、琥珀曰く『志貴ちゃんとの赤ちゃんだったらどっちでもすごく嬉しいから』だってさ」
あからさまなのろけだが、士郎は穏やかに笑う。
「愛されているなお前も」
「ああ、ありがたいよ本当に、でお前の方は?」
「ああ、俺か・・・」
そこで士郎は苦い表情を作る。
「・・・嫌味言われているよ。なんでバルトメロイだけなのかって」
「お前も災難だな」
「まあな、バルトメロイは自分の邸宅だ。安定期に入ったから出産に備えるって」
士郎はと言えばあの日、士郎の子を身籠ったのはバルトメロイただ一人だった。
バルトメロイだけ妊娠したことが発覚するや、全員当然かも知れないが烈火の如く怒り狂い、戦争が終わってからも凛達相手に子作りに専念(否、強要であろうか)している現状だった。
「でもまだ当たりは無しか?」
「まあな、凛達には負担をかけて申し訳ないよ。俺だけが愉しんでいるみたいで」
「お前の所為でもないだろう」
「そうなんだけどな・・・ところで志貴、カール君は?」
「ああ、カールなら最近になって歩き始めた。いろんな所に行くから父さんも母さんも苦労しているよ」
「喋り出しているのか?」
「それは先週から。俺を見て『父さん』って舌足らずな口調で言ってくれたよ」
「そうか」
そこまで話が終わると志貴は微笑を消して士郎に質問をする。
「で士郎、今日ここに来た本題は?」
「・・・気付いてたか」
「まあな、近況報告だけでここにお前が来るとは思えないし」
そこで茶を飲み干してから姿勢を正した。
「実はな・・・俺、冬木から出て行こうと思う」
「・・・」
それを聞いても志貴は眉一つも動かす事は無く、自分の分の茶を飲み干した。
「・・・いよいよ出て来たのか?『剣の代理人』となった事の代償が」
「だと思う。最近徐々にだが、俺に対する悪い噂が流れ始めている」
原因は一切不明、ネットを中心に士郎に対する誹謗中傷が流れ始めていた。
最初は些細な事だった。
凛が卒業して名実ともに穂群原のマドンナとなった桜が士郎の家に毎日の様に通っている。
そんな情報が流れ始めてから少しずつそれは変質を遂げていた。
曰く、『衛宮士郎は遠坂桜の弱みを握り通い妻になる事を強要している』
曰く、『弱みを握られた遠坂桜は衛宮士郎に良い様に弄ばれている』
曰く、『姉の遠坂凛も妹を守る為に学生時代から衛宮士郎の通い妻にされてその挙句、妹の事で脅され、その結果、彼の言いなりにされている』
曰く、『今や遠坂姉妹は揃って性奴隷も当然な扱いをされ、それだけでなく今現在衛宮士郎の家には肉体関係を強要された女性が多数いる、中に年端もいかぬ少女までいる』
性質が悪い事にそれらは徹頭徹尾虚構だらけでなく一部の真実が組み込まれていた事か。
確かに桜も凛も士郎の家に通い妻同然に通っているが、それを強要された事は一度もなく、自分達の意思でここにいる。
それ以前に脅迫しようものなら、凛によって殺される事など目に見えている。
またそう言った関係になっているが、士郎は強要や脅迫など一度もしておらず、全て互いの合意の元である。
それに士郎の家には一時逗留していたバゼットが先日、ウェイバーの強い要請で協会復帰を受諾し、その為にセタンタと共にロンドンに帰還したが、それでもメドゥーサ、イリヤ、セラ、リーズリット、カレン、レイが滞在している。
おまけに月に一度のペースで凛、アルトリア、ルヴィアも士郎の家を訪れている。
こちらも脅迫強要など不要で、何人かは呼んでいなくても自分からやってくる。
しかし、情報と言うものは尾びれを付けて思わぬ方向に膨張し異質なものに変質を遂げる事が多々ある。
それは愉快犯であったり特定個人を貶めようとする故意の意思が働いたりする場合さらに歪に変容する。
気が付けば、士郎は不特定多数の女性を暴力や脅迫で脅し自分の性奴隷として乱暴の限りをつくすと本人とはかけ離れた人間のぐずのような評価がネット上で出来上がってしまっていた。
しかも誰が流したのか士郎の住所や電話番号までもが周囲に知られる事態になり、家の玄関には中傷ビラが貼られ、終日電話が鳴りっぱなしと言う事態にまで発展してしまった。
電話番号は変えざる負えなかったが、幸いと言うか後見人である藤村組や、今もって親しく付き合っている柳洞寺には直接の被害は及んでいないし、中傷ビラも貼られたのは最初の一回だけで、次に貼ろうとした不届き者はヘラクレスが捕まえ警察に連行した。
その際ヘラクレスを始めとする英霊の無言の重圧・・・いや、殺意に等しいものを受けて犯人は失禁した挙句失神したが。
士郎を良く知る人達はひどい言いがかりだと憤慨してくれたのも救いであるが、こういった事がもう起らないという保証はどこにもない。
又自分だけならばまだしも、これによって自分と親しい人達が危害をこうむる事など到底士郎には容認出来なかった。
その危険性を可能な限り回避するには士郎が冬木から出て行くより術がなかった。
正確に言えばそれしか士郎には思い付かなかったと言うべきか。
「よく皆納得したな」
「説得には苦労したけど。定期的には冬木に必ず帰って来る事を約束してようやく納得してくれた」
そうかと言葉にする事無く一つ頷く。
「いつ出るんだ?」
「来週には」
「どこか当ては?」
「ある筈ないだろう。俺としてはこの機会に世界中を回ろうと思う」
「・・・良いのか?それで」
「泥沼にはまる事は間違いないけどな。それでも守れるならば守りたいんだ」
しばし互いに無言となるが、やがて志貴は一つため息をついた。
「止めても無駄か。だがな相棒」
「?」
「いつでも帰って来い。たとえ冬木がお前の親しい人達がお前を拒否したとしても、俺もアルクェイド達も・・・ここは皆、お前を歓迎する」
「・・・ありがとうな、相棒」
互いに万感の思いを胸に握手を交わす。
そしてその言葉のとおり、士郎は日本に帰国した折には必ずと言って良いほど、『七星館』を訪れ、志貴達も約束通り士郎を心の底から歓迎し、最期のその時までその友誼は途絶える事は無かった。
それから半年後、『七星館』では・・・
『おぎゃああああ!』
賑やかな大合唱が支配していた。
「志貴君!志貴君!おむつまだー!」
「うわっ!皆おもらししちゃっている!」
「今用意できた!ほら早くおむつ変えてあげて!!」
「うん!」
志貴を筆頭に『七夫人』全員がてんてこ舞いに動き回っている。
おむつを替えてほとんどの赤ん坊は泣き止んだが、それでも泣き止まない赤ん坊がいた。
「あれれ!志貴ちゃんーまだ泣き止まないよー」
「たぶんお腹が空いてるんじゃないのか!」
「そうなのーごめんねー瑪瑙ちゃん、はい、お母さんのおっぱいよー」
「もしかして瑠璃ちゃんも?はい一杯飲んでねー」
志貴のアドバイスを受けて琥珀と翡翠がそれぞれ瑪瑙、瑠璃と呼んだ赤ん坊に母乳を飲ませると、勢いよく飲み始める。
「やっぱりお腹空いていたんだねー」
そんな光景をほほえましげに見ているアルクェイドは傍らの泣き止んだ赤ん坊・・・先日産まれた自分の娘のほっぺたを突く。
またそれに触発されたのかアルトルージュ達もそれぞれ自分のお腹を痛めて産んだ娘のほっぺたを突く。
母親達につつかれながら嬉しそうに笑う赤ん坊達。
しばらくすると赤ん坊達はすやすやと眠りにつく。
一息つけると判断したのか志貴とレンが全員分のお茶とお茶菓子を用意してくれていた。
「志貴、すいません志貴にこのような事を」
「気にするなシオン、俺もこれ位はやらないと」
恐縮するシオンに気にするなと笑う志貴。
やがて期せずして始まったお茶会、志貴は布団で眠る我が子達を微笑ましげに見つめる。
「しかし・・・朱鷺江姉さんを除いて全員娘か・・・」
「兄さん朱鷺江さんも宗志君が生まれてから正式に七夜姓になったのですから、姉さんと呼ぶ必要もないのでは?」
「こればかりは仕方ないさ秋葉、俺にとっては朱鷺江姉さんの呼び方で通してきたからな。早々変わらないよ。お前が俺の事を兄さんって呼ぶように」
「そ、それは・・・そうですが・・・」
「志貴君、秋葉さんをあまり苛めちゃだめだよ。紅葉ちゃんに言いつけちゃうよ」
「それは勘弁してくれさつき、秋葉に嫌われるのも嫌だけど紅葉に嫌われるのはもっと嫌だからな」
おどけた志貴の言葉に全員が明るい笑いを浮かべる。
もはや説明の必要など皆無であるが、『七夫人』と朱鷺江は無事に出産を終えていた。
名前も琥珀との娘の名は『瑪瑙(めのう)』、翡翠との娘の名は『瑠璃(るり)』、アルクェイドとの娘の名は『アリス』、アルトルージュとの娘の名は『リーゼ』、シオンとの娘の名は『ライラ』、秋葉との娘の名は『紅葉』、さつきとの娘の名は『美月』、そして朱鷺江との息子の名は『宗志』と名付けられた。
穏やかな空気の元賑やかに談笑しているとそこへ
「とうさん!」
覚束ない足取りで実母譲りの銀髪の少年がやってきた。
「カールか。どうした?」
「んーと、あそびにきたのと、おてつだいに来た」
「そうなのーありがとうねカール君」
「こはくおかあさん、ひすいおかあさん、アルクェイドおかあさん、アルトルージュおかあさん、シオンおかあさん、あきはおかあさん、さつきおかあさん、ときえおねえさんこんにちは」
途中までは微笑ましげな笑顔でカールを見ていた『七夫人』達だったが、最後の一言を耳にして表情がいささか強張った。
「カール君、ちょーっといいかな?」
「何?さつきおかあさん」
「えっとね・・・どうして私達は『お母さん』で朱鷺江さんは『お姉さん』なのかなーと思って」
渾身の力を込めて笑顔を保つさつきだったが、こめかみ部分がひくひくと痙攣している。
隠しきれない鬼気を感じ取ったのか怯えた表情で志貴の背中に隠れるカール。
「さつき、駄目だろ、カールを怖がらせたら」
「あ、あう・・・」
志貴に窘められてしょぼくれるさつき。
「カール、どうして朱鷺江姉さんだけお姉さんって呼んでいるんだ?父さんがいつも姉さんって呼ぶからか?」
「ううん、ときえおねえさんからおねえさんってよぶようにいわれて・・・さつきおかあさんごめんさない」
「あ、ああべ、別にカール君が悪い訳じゃないから謝る必要はないのよカール君」
涙目でさつきに謝るカールにさつきはあわてて弁解を始める。
『七星館』の日々は静かにだが穏やかに流れていた。
一方、これとは時間が前後してイギリスはロンドン、バルトメロイ邸宅。
そこに冬木を離れて久しい士郎の姿があった。
本来ここは部外者が入れる場所ではないのだが、士郎はある意味特例として七年間だけ入る事を許されていた。
その理由はある一室にあった。
「バルトメロイ」
その部屋に入ると豪勢そのものと言える寝台に横たわるバルトメロイとその傍らで眠りにつく赤ん坊の姿があった。
「ああ、エミヤか・・・」
疲れなのか無事に我が子を産んだ事への安堵なのかその声にはいつもの力強さは欠片もない。
「無事に生まれたよ・・・男児と言う事だ抱いてみろ」
「ああ」
眠る赤ん坊を起こさないように慎重に抱き上げる士郎。
「・・・」
そのまま互いに無言で時間だけが経過していく。
「・・・エミヤ」
やがてバルトメロイが口を開く。
「まだ続ける気か?」
何をとは士郎は聞かなかった。
「ああ」
ただ言葉少なげにそれだけ告げる。
「不器用な。ろくな死に方をしないぞ」
何かに憤る様にバルトメロイは言葉少なげに吐き捨てる。
「・・・皆には申し訳ないと思っているけどね。それでもこの生き方は変えられない・・・ところでこの子の名は?」
強引ともいえる話の変更にいささかじと眼で士郎を見やるバルトメロイだったが、やがて諦めたようにため息をついて士郎の質問に答えた。
「・・・ローラン、その子の名はバルトメロイ・ローランだ」
「古の英雄、聖騎士の名を取ったのか・・・」
「今後の協会の行く先は暗雲、いや、嵐が待ち構えている事は疑う余地もない事、この子は次代を担うバルトメロイとしてその嵐を打ち壊してもらいたい、それだけだ」
感情の抑揚も見せず淡々と告げるバルトメロイだったが、士郎はその期待こそが親の愛情だと言う事を口にするでもなく理解した。
「そうか、そうなってほしいよな・・・」
ただそれだけ言うと、静かに自分の息子を寝台に再び寝かせる。
「・・・もう行くのか?」
「ああ、これから冬木に帰るから。また来るよ」
「勝手に来い」
士郎の別れの言葉に当のバルトメロイは愛想の無い別れの台詞を言うだけだった。
それから数年後・・・
ロンドン、バルトメロイ邸宅。
そこで、一人の少年に剣の稽古をつけている士郎の姿があった。
「行きます!父上!投影開始(トレース・オン)!」
その手に何の装飾もない一般的なロングソードを投影させ、両手持ちで構える少年、バルトメロイ・ローラン。
「・・・投影開始(トレース・オン)」
一方、こちらも虎徹を投影で創り出し構えるのは士郎。
そこから互いにピクリとも動かない。
いや、正確に言えば士郎は息子の動向を見守っているだけであったが、ローランにとっても動きたくとも動けない状態だった。
一見するとさほど力も入れず、軽く構えているだけに見えるが、打ち込める隙がまるで見当たらない。
過去何度も稽古をつけて貰っているが母とは違う意味で勝てる自信がまるで見当たらない。
(これが『蒼黒戦争』を生き抜き、一部では戦争を終わらせた真の英雄とまで呼ばれる父上の実力・・・)
正確には実力の片鱗でしかないのだが、この世界に生を受けて未だ十年にも満たない少年には十分に過ぎる脅威だ。
ただ対峙しているそれだけで体力は奪われ、汗はとめどなく流れてくる。
だが、このままお見合いしていても仕方ない。
覚悟を決めて、腹を括り
「いやあああああ!!」
士郎に向かって斬りかかる。
無論技術も駆け引きも何もない愚直な、だがまっすぐで力強い一閃を士郎は
「・・・っ!」
無言の中にも裂帛の気合いを込めた虎徹の一閃でローランの剣を粉砕しローラン自身も吹き飛ばす。
「うわああ!」
その一撃に耐えきれず、床を転がる。
しかし、すぐに体勢を立て直すや
「投影開始(トレース・オン)!」
新たなロングソードと複数の投擲用のナイフを作り出し、矢継ぎ早にナイフを士郎目掛けて投擲する。
「・・・」
それを一つ残らず弾き飛ばそうとするがそれを待っていたかのように
「壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)」
ローランの詠唱で一斉に爆発する。
その威力は小さく目くらまし、煙幕程度の効果しか見込めないが、それでも士郎の注意を僅かな時間とは言え、逸らすのには十分な役目を果たした。
一気に士郎との距離を詰めて再度剣を振り下ろす。
しかし、そんな一撃も士郎には通用しない。
見えていたように虎徹でその一撃を受け止める。
しかし、ローランはここで、かかったとばかりいたずら小僧のような笑顔を見せる。
そのまま手を放すや、気流操作で士郎から離れ
「壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)」
再度の爆破しかも至近距離でのそれは士郎の虎徹を粉砕する。
ここが好機と判断したか三度剣を投影するや一気に勝負を付けようと突っ込む。
しかし、残念だがまだ甘かった。
士郎にとってこの程度の策は長い闘いの日々で嫌と言うほど味わったものに過ぎず、対抗策も用意してある。
「・・・ローラン、上手くやったな。ご褒美と言えば変だがお前に見せてやるよ宝具を。投影開始(トレース・オン)」
そう言って手に現れたのは士郎が長い闘いの日々で最も呼び出した鉄槌。
「!!」
それを見た瞬間ローランの表情が強張り突撃から回避に全力を注ごうとする。
「良い判断だ。ローラン死ぬ気で回避しろ・・・猛り狂う雷神の鉄槌(ヴァジュラ)!」
『錬剣師』として、今や『剣の王』と呼ばれる衛宮士郎が長年使いこなした鉄槌が雷と化してローランの傍らを通過する。
当然だが大きく体勢を崩した隙を士郎が見過ごす筈がなく、気が付けばローランには投影した虎徹が突き付けられていた。
「・・・まいりました」
息子の降参の声を聞いて一つ頷くと虎徹を解除、刀は魔力に立ち返る。
「終わったか」
そこへ計ったようなタイミングでバルトメロイが顔を出す。
「ああ、さすがにお前の息子だな。動きも魔術も見違えるほど上達している」
「他人行儀な事を言うなエミヤ、この子はお前の息子でもあるのだぞ」
バルトメロイの指摘に士郎は苦笑する。
「そうだったな、年に何回しか会えないようなろくでなしの父親だけどな」
そう言ってローランの頭を撫でる。
父の手の温もりを感じたのか眼を細めて嬉しそうに撫でられるがままになるローラン。
そこへ、バルトメロイの声がかかるや一変した。
「ローラン、魔術実習の時間ださっさと行け」
「はい、母上」
そう言ってこの場を後にする。
「・・・先行き楽しみだな」
「まだまだだ、あの程度ではまだバルトメロイを受け継がせるには足りぬ」
「その割には顔が緩んでいるぞ」
「うるさい」
その様に士郎もまた頬を緩める。
「今回はいつまでいる?」
「明日の昼までは」
「そうか、で、また世界中を回るのか」
「ああ」
「・・・エミヤ」
不意にバルトメロイが士郎に険しい視線を向ける。
「悪い事は言わん。もうやめろ」
「・・・」
「わかっている筈だと思うが、お前が人々を助ける為に魔術行使、それも投影魔術による宝具行使を隠蔽する事の無い行為が協会内で問題視されている。ロード・エルメロイがお前の処分に是と言わぬが為に、身の安全は今の所は保障されているがそれもどこまで続くか判らぬ。一部では暴発の動きも見え隠れしている」
「・・・」
「それに・・・お前どれだけ助けても助けても、他ならぬ助けた相手から恨まれ憎まれているらしいな」
事実である。
時には行き場もなく、誰にもぶつけられぬ怒りをぶつけられた事もある。
時にはすべての責任を被せられた事もある。
どれだけ大勢の人々を助け、悲劇を防ぎ悲嘆の涙を食い止めても士郎にその賞賛が与えられる事は無く与えられるのは理不尽な怒りと罵り、行き場のない恨みと憎しみだけ。
石を投げ付けられて追い立てられた事もある。
それでも士郎はやめる事も諦める事も無く世界を回り助けられる人々を助けてきた。
そしてそれは変わらないだろう。
多分死ぬその時まで。
『剣の代理人』の宿命とかそんな事は関係ない。
他ならぬ士郎本人が助けたい、守りたい。
そう願いからこそ、身体が動き悲劇を未然に防ぐただそれだけなのだ。
そして士郎は気付かない。
その覚悟、決意こそが『象徴(シンボル)』、『剣神より下賜された報奨の剣(バウンティソード)』以上に衛宮士郎を『剣の代理人』足らしめている事を。
「・・・不器用極まりない男だロクな死に方はせぬぞ・・・だが、その魂の在り様があるからこそローランが僅かしか会えずともお前を父と慕っているのだろうがな」
苦々しいような誇らしげと言うか、その実痛ましいような複数の相反する感情が入り混じった声だった。
一方、夜の七夜の森では、空気すら凍ったような静寂の中で金属同士のぶつかり合う澄んだ音だけが響き渡る。
片や、短く刈った銀の髪が僅かに揺らし、枝から枝へと音もなく移動し相手を探す少年、カール・ナナヤ・ナルバレック。
音も気配も絶っている筈だった。
しかし、自分の背後が気にかかる。
気が付けば背後から自分の首を狩ろうとしているのではないのか、そんな不安がよぎる。
しかし、たとえ鍛錬であろうとそのような隙は致命的、ましてや相手が並の相手でないのならば尚更だ。
「・・・カール、隙だらけだぞ」
気が付いた時にはカールの首には短刀が突き付けられていた。
「ま、まいりました・・・」
その声にカールは降参を示すのに精一杯だった。
「まだまだだな。実戦でそんな事じゃあ生き残れないぞ本気で」
「そ、そうだけど・・・父さん気配を消すの異常だよ。どんなに探ろうとしても気配を探れないなんて晃叔父さん達でもなかったよ」
「そうか?これでも優しい方だけどな」
「あれでもなの!」
思わず苦情が出てくる。
七夜の新世代の中でも頭角を現しているカールであったが現世代でも最凶である志貴が相手ではまだまだ力不足、役者不足としか言いようがない。
フラフラで歩くのも一苦労と言ったカールと志貴が『七星館』に帰るとすぐさま
「お父さん!お兄ちゃんお帰りー!」
「お父さんお兄ちゃん、お帰りなさい・・・」
幼いころの翡翠、琥珀によく似た顔立ちの少女が駆けてくる。
瑠璃と瑪瑙だ。
「ああ、ただいま瑠璃、瑪瑙」
志貴は娘二人の頭を撫でる。
と、二人はすぐさまカールが疲労困憊の様子に気付く。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「お兄ちゃんすごく疲れてるね・・・」
「う、うん・・・さすがに疲れた・・・」
そこから娘の志貴に向ける視線は一転して険しいものになった。
「お父さん!お兄ちゃんまた苛めたの!」
「いや、瑠璃、お父さんとお兄ちゃんは鍛錬をしたんであって別に苛めては・・・」
瑠璃の言葉に苦笑しながら志貴が宥めようとするが、瑪瑙の次の一言で形勢が逆転した。
「お兄ちゃん苛めるお父さん・・・嫌い」
「うん!お父さんの事嫌い!瑪瑙ちゃん!アリスちゃん達にも連絡!あとお母さん達にも!」
「わかったの・・・」
「ちょ、ちょっと待て瑪瑙、瑠璃!!」
「あ、あははは、仕事じゃあ無敵の父さんもお母さん達や瑪瑙ちゃん達には形無しだね」
「は、ははは、全くだな・・・はあ・・・」
鍛錬の時とは一転してカールが志貴をやり込めながら居間に向かうと、志貴を出迎えたのは妻達の呆れたような視線とじと眼で父を見る娘達の視線、そしてレンは我関せずとケーキを頬張り、最後に残ったもう一人の息子はと言えば、志貴に同情するような視線だった。
しかし、何も言ってこないのは下手な事を言えばそのとばっちりが自分に向く事を知り尽くしているが故であろう。
「は、ははは・・・ただいま」
やや引き攣った笑みで声をかけても状況は好転しない。
「志貴ちゃん、またカールとの鍛錬本気でしたんでしょう・・・」
翡翠が志貴の分のお茶を入れつつも苦言を呈する。
「そんな事は無いって」
「じゃあなんでカールお兄ちゃんこんなに疲れているの?お父さん」
「そうです!父上!前リーザたちと約束しましたよね!兄上と鍛錬するのは構いませんが兄上を苛めるのは絶対にしないと!」
志貴の言い訳に反応したのはアリスとリーザ、更に
「お父様!兄様に恨みがあるのですか!毎日毎日兄様を苛めて!」
「ひどいです・・・お父さん」
「こんな事続けるんだったらお父さんの事本気で嫌いになっちゃいそう」
紅葉、ライラ、美月もこぞって志貴を非難する。
まさしくたじたじの志貴だったがカールは何も言わない。
自分が口出しすると余計に事態が混乱する為、志貴から何も言わないようにと厳命されているからだ。
また同じ様に無言の立場を貫く宗志はカールの傍らに近寄り、小声で話し合う。
「兄ちゃん、父ちゃん災難だよな」
「うん・・・父さんも別に最初から全力全開でしている訳じゃないんだけど、回数を重ねていくうちに本気になってきて」
「で、瑪瑙達や母ちゃん達に言い負かされる・・・堂々巡りだよな」
「あ、あはは・・・」
そんなひそひそ話をしている内に娘達の父へのお説教が終わり、
「じゃあ、お兄ちゃん皆でお風呂入ろ!」
「うん!入ろ入ろ!」
「宗志も一緒にね」
瑠璃の一言で色めき立った娘達がカールと宗志を半ば引き摺る様に浴場に向かう。
「お母さーん!お風呂湧いているよねー!」
「ええ大丈夫よ!ゆっくりと入ってきなさい!」
子供達がいなくなると居間は途端に静かになる。
「もう志貴ちゃん、カールを一人前にするのは良い事かもしれないけど、やり過ぎると瑪瑙ちゃん達から嫌われちゃうよ」
苦笑しながら琥珀が翡翠と同じ事を言う。
「いや、俺なりに手は抜いているんだよ。だけど最近カールの実力も上がってきてなそろそろ本気でやりあわないとならなくてな」
「そこまで強くなったの?カール」
「ああ、新世代の中でもトップレベルそう言っても過言じゃないかもな、もちろん俺やアルクェイドにはまだまだ及ばないけど」
驚く声を上げるアルクェイド。
「そうなると志貴、ライラ達からは連日お説教を受ける羽目になりますね」
「そうなんだよな・・・」
シオンの冷静沈着な指摘にがっくりと肩を落とす志貴。
「安心して志貴君、今日は私の番だから志貴君を癒してあげるから」
「ははは・・・ありがとうなアルトルージュ」
「それでしたら兄さん、アルトルージュさんだけでは心もとないですね私も兄さんを癒すのをお手伝い致します」
「それなら私も!」
「えっと私も良いかな?」
あっという間にこの場にいる全員が参加する羽目になってしまった。
ちなみに次の日、どう言う訳か父曰く『お母さん達体調を崩した』と聞き、昨日あれだけ元気だったのにと首を傾げる娘達の姿があった。
そして月日は流れ、『蒼黒戦争』終戦より十五年後・・・
『七星館』では着流しを来た志貴が欧州より届いた手紙を熟読していた。
「時が来たか・・・」
誰ともなく呟く志貴、そこへ
「志貴ちゃん、はいお茶」
琥珀がお茶を入れてやってきた。
「ああ、ありがとう琥珀・・・それにしてもお前も翡翠も俺の呼び方はまだ『ちゃん』付けなんだな」
「う、うん・・・やっぱり私や翡翠ちゃんにとっては志貴ちゃんは志貴ちゃんだし・・・良い年なのに迷惑かな・・・」
「いや、俺は歓迎するぞやっぱりお前や翡翠にはそう呼ばれた方がしっくりくるし」
「本当?」
「ああ、それはそうとカール・・・と瑪瑙達に・・・皆も呼んでくれ」
「全員?」
「ああ、ちょっと重要な話があるから俺は本館の広間で待っているから」
「うん、わかった直ぐに呼ぶね」
しばらくして『七星館』本館大広間、そこに琥珀たち『七夫人』と娘達、朱鷺江と息子の宗志、そしてカールが全員集合する。
「志貴、全員揃いました。話があるとの事ですが一体・・・」
「ああ、実はだ・・・欧州のエレイシア姉さんから手紙が来てなカール、お前を近い内にナルバレック家の家督を継がせたいとの意向が届いた」
「へ?俺が・・・母さんの家を」
既にカール自身は自身の実母の事は志貴達から聞かされていたのでそう言った驚きはないが突然の家督相続に戸惑いの声を漏らす。
「でも志貴、なんで今急にそんな話が出て来たのよ?そりゃカールも今年で十六だけど家督相続なんて早すぎるんじゃない?」
「ああ、おれも少し疑問に思っていたんだが、姉さんの話だと向こうで長年ナルバレック家の家長が不在の事態が響いてごたごたが起こっているらしい。下手をするとこっちにまで飛び火しかねない程の。つまらない面倒事は否だろう」
その言葉に全員が頷く。
その面倒事で取り返しのつかない事態が起こるのではなく、あくまでもつまらない面倒事に巻き込まれる、志貴達にとってはその程度の事態でしかない。
しかしそんな事に巻き込まれて愉快である筈はない。
「じゃ、じゃあ!お父さん、お兄ちゃん欧州に行っちゃうの!」
そこへどこか切羽詰った声を上げて瑠璃が発言する。
「・・・正直に言うとな、瑠璃。俺としてはカールには『裏七夜』頭目を継いでもらいたい」
「え、ええっ!俺が父さんの跡を!」
これは完全に予測外だったらしくカールが声を荒げた。
「で、でも」
「お前は十分に成長した。実戦も経験した。あとはその経験を積み重ねていけば良い。それに・・・」
そこまで言って志貴はいたずらっぽく笑う。
「カール、この前、瑪瑙達と一夜過ごしただろう?」
それを聞いて宗志を除く子供達が真っ赤になる。
母親達はくすくす笑い、宗志は苦笑いと言った所だ。
「と、父さん・・・その・・・俺」
何か言おうとした息子の言葉を遮り志貴はあえて話の本質を尋ねた。
「カール、瑪瑙達を愛しているか?家族とか妹とかではなく女としてだ」
志貴の問い掛けにしばし無言を貫いていたカールは決意したように
「はい・・・父さん・・・俺は妹達皆を女として愛しています」
「と言う事はだ、基本的に近親での婚姻など許される筈はない。おそらくここでしか婚姻を結ぶ事は出来ないだろう」
「じゃあ父さんはここで」
「カール、それを・・・お前の未来を決めるのはお前自身だ。お前が納得できる答えを見つけるんだ。それがお前に俺が出せれる最後の課題だ。時間はある自分の意志で悔いが少ない道を選ぶんだ」
その言葉を最後に一同は解散した。
カールが志貴にナルバレック家と『裏七夜』双方を継ぎ、瑪瑙達を妻として娶る、その旨を伝え、志貴がそれを了承したのはそれから一週間後の事だった。
カールはあえて最も険しい茨の道を進む事を選んだのだった。
そしてそれからさらに一年後、志貴達は『七星館』は頭目の座を譲った息子夫婦に譲り自分達は里に下りて、広めの家で夫婦水入らずの隠居生活を送っていた。
だが、今現在、その家の空気は重く暗い。
何故か?主たる志貴が床に就いていた。
カールに頭目の座を譲ってからの一年で急速に志貴の身体は衰え、ここ三ヶ月はほとんど寝たきりの生活を送っていた。
いや、急速と言うのは語弊があるだろう。
今から思えばその兆候があった。
『蒼黒戦争』が終わってから少しずつだが、志貴の前線に出る回数が減っていた。
この二、三年は数えるほどしか前線に出ていない。
それに気付いたのは全てが手遅れになった時だった。
寝たきりになってから慌てて、志貴の身体を診た宗玄の見立てでは志貴の余命は幾ばくも無いとの事。
原因は全く不明、だが、全身の臓器、筋肉が恐ろしい勢いで衰えており、体内のそれは死にかけた老人のそれに等しいと。
もはや回復させる見込みは皆無であると。
その言葉を聞き、全員絶望の底に叩き込まれた。
そして、その事に気付かなかった事を皆心から悔いて涙ながらに志貴に謝った。
ただただ只管にごめんなさいと。
しかし、志貴は弱々しくもいつもの穏やかで優しき笑顔で気にする事ではないと言った。
そしてはっきり言い切った。
「誰の所為でもない。これは俺の寿命が来たと言う事。俺が『死神の代理人』なった時・・・いや、『直死の魔眼』を得た時から決まりきっていた事だ」
だが、それでも納得できる筈がないとアルクェイド、アルトルージュはその美貌を涙でぐしゃぐしゃにして自分の血を上げるから、死徒になってでも生きてと懇願した。
その二人を志貴は結婚してからもう何万回と繰り返したであろう、愛情のこもったキスで止める。
「自分を責めるな、アルクェイド、アルトルージュ、さっきも言ったがお前達の所為じゃない。それに今まで死徒や魔を散々殺しに殺しまくった俺が最期は同じ魔になったなんて笑い話にもなりゃしないだろ」
痩せ衰えているにもかかわらず、その言葉は静かで穏やかなのに、その時の志貴はかつて死神と呼ばれ畏れられていたあの頃のままだった。
志貴が危篤の報を聞き、父や母が幼少の頃からの友が、そして息子娘達も続々と家に集まる。
当然そこには志貴が長くも短い人生の中で師と公言した青子、ゼルレッチ、コーバックもいた。
集まってくれた人達に志貴は一人一人と最期の別れの言葉を投げ掛けあい、最後に自分の人生を妻と言う形で連れ添ってくれた九人と向かいあう。
「皆・・・これは俺の遺言だ。琥珀、翡翠、アルクェイド、アルトルージュ、シオン、秋葉、さつき、朱鷺江姉さん、レン。俺の事を・・・今日まで愛してくれて本当にありがとう。皆がいたから・・・俺の人生は輝けた。だから俺が死んだら・・・俺の事を忘れろとは言わない・・・ただ俺の死を背負うのは止めてくれ。自由に・・・生きてくれ・・・これから先も・・・幸福に・・・生きてほしいんだ・・・」
それは命の最期の輝きだったのだろう、やがて志貴の声はとぎれとぎれになりか細いものになり・・・最期に
「士郎・・・先にあっちに行く・・・」
そう呟き、静かにその眼を閉じ、二度と開かれる事は無かった。
七夜志貴の人生を刻む時計は三十七歳で永遠に停止した。
そのほぼ同時刻、中欧のとある片田舎では・・・
深夜郊外の雑木林で大木にもたれ掛る人影があった。
その腹部からは夥しい出血が見られ、どう見ても重傷、最悪では致命傷に至っている。
「・・・時が来たか・・・」
そう呟くのは衛宮士郎。
その声には苦痛を耐える色はあるが、死を恐れる色は無い。
その手に報奨の剣を握った時からこの結末は分かりきっていた未来だった。
ただ、未練を上げるとすればもう一度だけでも凛達に会いたかった事位か。
この一年士郎は冬木にはおろか日本にも立ち寄っていない。
きっかけは協会院長がウェイバーからバルトメロイに変わった事だった。
今まで士郎のある意味無茶な行動を擁護してきたのはウェイバーだったが、バルトメロイは院長就任早々、方針を百八十度転換、士郎の捕縛、ないし討伐を執行者や『クロンの大隊』に厳命した。
その事に士郎は驚きも無ければバルトメロイに対する嫌悪もない。
何しろ彼女は今から数年前、偶然再会した時にきっぱりと宣言していたのだから。
『エミヤ、これが最後通牒だ。もうこんな事は止めろ。止めぬのであれば私はバルトメロイとしてお前を討たねばならぬ。ロード・エルメロイが院長職から退けば十中八九私が後任になるだろう。その時には私はお前の捕縛か討つ事を命じねばならぬ』
しかし、士郎はそれを無視した。
守ろうと思えば守れる人達がいるのに、それを見捨てる事など士郎には出来る筈がない。
そもそも、この程度で止める位なら初めから報奨を受け取り代理人などなりはしない。
こうして士郎は助けた人々からの恨みと憎しみを一身に背負うに留まらず、協会からもお尋ね者として追われる日々をこの一年過ごしてきた。
この状態では日本に帰る事など出来る筈がない。
そして、今を迎える。
今回も『六王権』軍の残党と思われる死徒の部隊を士郎は瞬きほどの時間で殲滅に成功させた。
しかし、そんな士郎を迎えたのは罵声の数々だった。
なぜもっと早く来てくれなかった。
まだ夫は、父は、息子は母は娘は妻は、皆皆まだ生きていたのにどうして殺した。
人でなし、人殺し、外道。
あらゆる罵声を受けても士郎は無言でその場を後にした。
こんなものは常に受けて来た事なのだから、今更心揺さぶられる事ではない。
だが、しばらくしてから士郎を追いかける人影があった。
それは年端もいかぬ子供達だった。
その手には包丁やナイフをもって。
死ね!と一人が叫ぶ。
ママの敵、パパの敵、と誰かが叫ぶ。
お前なんか死んじゃえと全員が叫ぶ。
気が付けば士郎はその恨みと憎しみの篭った刃を防ぐでもなく避けるでもなく、ただ静かに激痛を伴って自分の腹部に突き刺さるのを何故か他人事の様に傍観するだけだった。
そして事が終わり、子供達は悪い夢から覚めたのか、それともようやく人を殺したと言う恐怖に襲われたのか蜘蛛の子を散らすかのように逃げ去ってしまった。
「・・・もう助からんなこれは」
かすかに笑う。
出血量はとっくに致死量に到達している。
これで助かるのならば『遥か遠き理想郷(アヴァロン)』がなければ到底不可能だろう。
しかし、士郎はそれを出そうと思わなかった。
自分に寿命が来たのだと理解していた。
今まで今回のそれとは比較にならない位の残党の討伐を一人で行った事もあった。
今回のそれとは比較にならぬほどの罵声と迫害を受けた事もあった。
石どころか銃弾を浴びせられた事もあった。
だが、どんな時でも士郎は致命傷所かかすり傷すら負う事は一度もなかった。
だからこそなのだろう。
士郎は悟っていた、自分が傷を負うときそれは自分にとって最期の時になるのだろうと。
だからこそ士郎は慌てるでもなく近くの雑木林に入りそこのひときわ大きな巨木にもたれ掛る様に腰を下ろす。
痛みはもうさほど感じない、いや、正確には痛みよりもだるさや睡魔の方が強くなりそれが痛みを和らげてくれていた。
このまま眼を閉じたいそんな誘惑にも駆られかけたが、それを複数の足音が押し留める。
「・・・お久しゅうございます、父上」
自分の事を父上と呼ぶ人物などこの世にただ一人しかいない。
「・・・お前かローラン」
「はい」
バルトメロイに変わり今や『クロンの大隊』を率いる立場となった自分の息子バルトメロイ・ローランがそこにいた。
「お前が来たと言う事は・・・俺の行動は予測済みと言う事だったか」
「ええ、わが友カールの妻の一人であるライラ・ナナヤ・ナルバレックの助力を受けて」
「そうか・・・ははっ、アトラスの錬金術師、シオンさんの娘さんなら・・・予測されて当然だな」
「ですが、このような傷を負っているとは予測外でしたが・・・」
「アトラスの錬金術師と言えども・・・全てを読み通せる訳じゃないって事だな」
それからしばし沈黙が訪れたがそれを打ち破ったのは息子だった。
「父上、院長・・・いえ、母上の命によりあなたを捕縛します」
「そうか・・・」
「・・・父上、私は父上を尊敬していますし、感謝しています。父上がいたからこそ私はここまで強くなれた。父上が私をバルトメロイの邸宅から連れ出してくれたから私はカールと言う友を得た。ですが・・・ですがこの件に関して私は父上に文句を言いたい。父上、どうしてです?どうしてこのような・・・」
「俺にはこの生き方しか見つけられなかった。たとえ俺を慕う人達を悲しませるとしても、独り善がりだとしてもこれしか見つけられなかった。それだけさ」
「それが母上にとって苦渋の命を出させる事でもですか!」
「・・・全く度し難い親父だよ俺は・・・息子にこんな顔をさせ、母親を・・大切な人達を大勢苦しめて・・・だが、それも終わりだ・・・」
「?父上・・・何を」
「ローラン、俺の人生を・・・反面教師にしろ。俺の様にはなるな・・・いいな・・・あと、もし冬木に行くことがあったら・・・皆にごめんと伝えておいてくれ・・・」
「父上!何を弱気な!おい!衛生兵!直ぐに傷の手当てを!!生きたままの捕縛が最優先だ!」
息子の切羽詰った声を他人事の様に聞きながら士郎はその眼を閉じる。
(志貴・・・直ぐにそっちに行く・・・)
それが最期の思考だった。
それからわずか十秒後、衛生兵が確認した時、すでに士郎の脈も呼吸も止まり、彼は冥府へと旅立っていた。
衛宮士郎、彼の報い少なく、放浪に満ちたその生涯は三十五歳で終わりを迎えた。
奇しくも『蒼黒戦争』を終わらせた二人の英雄は人知れず、同じ日、同じ時に人生の終焉を迎えた。